私は、生きるのがとても下手だ。
幼い頃から人間関係に敏感だった。
誰とでも仲良くなれる、という不思議な傲慢さを持っていたのはいつまでだったか。すでに幼稚園の年中くらいの時には、集団にいることが辛くて、正体不明の微熱と腹痛に苦しんだ。
それからずっと、私は、集団生活をうまくやれた試しがない。ここでいう「うまくやれた」が、「いじめに遭わなかった」とか「成績が良かった」とかそういう意味なら、私は「うまくやれた」。
けれどどこにも居場所がなかった。
孤独じゃない試しがなかった。そこに広がる永遠の闇。
私と友人とで何が違うのか、さっぱりわからなかったけれど、そこには遥かにみはるかす高い高い壁が存在していて、私たちの間を隔てていた。
一番心に病んだのは、周囲の言っている言葉の意味が、理解できなかった事だ。みんなの話している「言葉」そのものの、意味はわかる。でも、みんながなぜ、そんなこと言うのか?が、わからなかったのだ。私の見ている世界と、周囲の見ている世界とが、まるで違うと言うことを、そのときに知った。
私の心の中に浮かんでくる言葉は、周りのどこでも話されていなかった。私はそのとき、私を「頭がおかしいんだ」と思った。
今でも時おり、私は私がわからず、私は周囲がわからない。そして周りも、時おり私に首を傾げる。
でもそれでいいのかもしれなかった。
私は私の中の、他の誰とも違う部分を、どうにか言葉にしたいのだ。そうでなければ報われない。私はいつも破滅的なことを繰り返してきたけれど、でもその苦しみすら、私が生み出す物の糧となるなら、本望じゃないか。
美しさと荒涼の間で、今日も私の心は揺れている。
他人と違う。
ただそのことだけが傷を深くする。
その傷すら光になるよう、私は生きる。
生きると決めて、このまんま未来を描くのだ。